ジャーナリズムについて
こんばんはkechaです。
今回はこのTED Talkを視聴しました。
"Why I Risked my Life to Expose a Govenment Massacre"
ここで出ているMassacreは虐殺の意味です。大量虐殺の意味でMass Muderなんかも使えます。
民族浄化の意味でEthnic Cleansingとも表現できます。Cleansingは掃除のクレンジングとも使えます。
今、この本を読んでいる途中であります。
政府の発表により、プロパガンダ Propagandaを植えつけられ自分が本当に思っていないのに思考を操られてしまう可能性があります。
ただ、このスピーチでは内戦が起っている中央アフリカで、政府による大量虐殺を世界に向けて報道するジャーナリストの方のスピーチです。最も重要な部分は最後の部分「なぜ彼が身の危険を冒してまでも内戦の取材に行ったのか。それは、社会で被害を受けた人たちを取材することで、物事の本質がわかる気がするからです。私(ジャーナリスト)という証人がいないと、村が焼かれようが、人が何人も殺されようがそれを知るよしがありません。だから、証人という人が必要であります。特に暴力が行われている時には証人の力というものが必要です。」(大雑把な翻訳笑)
日本から視点に立てばアフリカで何が起ころうが、ほとんど生活には関係ないと思います。ただ、政府というある種の暴力装置を牽制する意味でもジャーナリズムというのは重要なのではないのかと思います。
先日、日本人ジャーナリストの方が中東のテロ組織に捕まり、解放されたニュースがありましたが、そこで議論されていたのは自己責任(Self-Responsibility)論が多かったのではないのかなと思います。
私、個人的にはジャーナリストの方を捕まえたテロ組織が一番ことの原因なのかなと思いますが、誰もそこを追求する人がいないような気がします。
ただ、私たち一般人はとても無力な存在( To be Powerless = To be marginalized)でありますので、必要なのは色々なことに対してまずは興味を持つことなのではないでしょうか?
興味を持ち、世界に目を向けることがまさにInternaninalized View or Global Eyeを持ち日本にある同調圧力(Peer-Pressure)に屈しないことではないかと思ったりもしています。
追加の英語フレーズ
To be consience:良し悪しの区別がつくこと
⇆To be numb:鈍感に近いこと
To be fishy:疑わしいこと
from one's vantage point, perspective, point of view = (略して PoV) それぞれの価値観や視点
まとまりがない感じではありますが、今日はこれで!